「こんなに元気なのに、入院しなきゃいけないなんて、ひまだなぁ」
最初はのん気にそんな事を考えていました。
次の日から、デイルームに車椅子で移動するのも看護婦さんに止められるようになりました。
歩いてもいいのは、病室から目の前たった5mそこらに見えるお手洗いまで。
私だけ特別なのは食べた後のトレイを持って行かなくていいことと、
NST(陣痛計測装置)を毎日3回もつけられること…。(他の人は週に数回)
計測する為には30分以上装置をつけたまま動いてはいけません。
ただでさえ苦しい上向きの姿勢を、ゴムで3ヶ所(双子なので赤ちゃん用端子が2つ+陣痛計測1つ)
お腹をきつく締め付けられたまま我慢を続けるのは辛い時間でもありました。
30分で済めばいいのですが、毎回お腹のなかで2人が移動しては数値が途切れるので
1回につき1時間以上つけっぱなしというのもしばしばでした。
7月5日(金)…28週0日
就寝時間になってからお腹がきゅ〜〜っとなる感覚が増えてきた気がしました。
数時間に1回だったのが、10分毎になってきたのです。
お手洗いに立った時、ついでに看護婦さんに相談すると「しばらく続いたら教えてください」との事。
1時間後、まだ10分間隔だったのでナースコールすると
NST(陣痛計測装置)で体をぐるぐる巻きにされ、数時間様子を見た後
「点滴の量をあげさせてもらいますね」
と、点滴装置をピッピッピ・・・
ウテメリンとは、張りを和らげる為の薬です。
主な副作用としては動悸が速くなっていくことと、体の「ほてり」です。
数値を上げたことで心臓の鼓動がどんどん速くなっていくのが分かりました。
それは体の奥から「ドクンドクン」と響くような音が聞こえてくるほど。
手は震え、「ほてり」で充血し真っ赤に腫れた手のひらは、横から見るとまるで「あかはら(水の中のトカゲ)」
の様に見えました。
7月6日(土)…28週1日
この日も就寝時間の10時を過ぎたあたりからお腹の張りが頻繁になり、ナースコール。
いつもの様にNST(陣痛計測装置)で様子を見た後、数値があがっていきました。
朝方の4:30、5:00とウテメリンの数値が少しずつ上がっていったのですが、お腹の張りは変わらず
看護婦さんが何やら大きな注射器と、機械をもってきて 点滴がついているポールに取り付け始めました。
午前5:50、ついに思い出すのも恐ろしい「マグネゾール」が追加とされることになったのです…
マグネゾール…それは簡単に言うと「筋弛緩剤」。
ウテメリンでどうしても抑え切れない場合にのみ使われる副作用の強烈な薬です。
ウテメリンの投薬限界の目安でもある心拍数120はすでに超えています。
これ以上上がっては危険だという事で別の副作用が現れるこの薬が使われることになりました。
この時私のお腹は28週0日。万が一生まれると赤ちゃんの命が助かるかどうかのギリギリのライン。
無理やりにでも抑え込む必要がありました。
この薬を打つと、全身の筋肉の緊張が解け だるさに襲われます。
予防接種の時に感じる筋肉痛にも似た腕のだるさが全身にまわるものと考えたら分かりやすいでしょうか。
最初は5ml/hで様子を見ることになりましたが、それでもお腹の張りは止まらず
明るくなった9:50分には7.5ml/h、22:50には10ml/h…とその量はどんどん増えていきました。
筋力が格段に落ちていき、手も今まで以上にガタガタと震えてくるのでお箸も持てなくなりました。
スプーンでかろうじてひっかけて食べるしかできません。
目の前のお手洗いに立つだけでも点滴のポールを支えにびっこを引く形で息切れしながら歩いていました。
この薬は脳にまで回る為、10ml/hに増えた時には 意識もぼんやり…話し掛けられても言葉がうまく出てこなくなりました。
7月11日(木)…28週6日
数日間状態が落ち着いて喜んでいたのですが、夜からまた お腹の張りがひどくなってきました。
とうとう8時半に15ml/hまで数値をあげられてしまいました。
あまりの苦しさに眠ることも出来ず、気分転換にと渡されていたぱたやんとの交換日記に
涙をこぼしながら苦しさを訴えて必死に気を紛らわせました。
朝になると、点滴の数値を下げてくれました。
薬が減って「体が楽になってきた」と交換日記に喜びを書いたのもつかの間、夕方から張りが頻繁に起こりだし
16:30からはとうとう最大投薬量の20ml/hまでに数値があがりました。
それと同時に 出産ラッシュが重なっていて 万が一生まれそうになっても保育器が足りないこと、
万が一を考えて緊急に転院できる病院を探すこと を告げられました。
夜、先生がまたやってきて「淀川キリスト教病院」へ明日転送することが決まったことを告げられ、
手伝ってもらう為にぱたやんに休みをとってもらうことになりました。
体はつらいけれど、明日はぱたやんと会える…それだけが私の心の支えになっていました。