絶対安静が始まって、自分のスペースのカーテンを閉めたままの日々が始まりました。
この病院は前と違ってテレビも冷蔵庫も備え付けてありません。
元からテレビを見る習慣がない私は、高いお金を払ってまでテレビを取り付けようとはしなかった為
ひたすら眠りつづけるしか時間の過ごし方がありませんでした。
普段は他の人もカーテンを閉め切ったまますごすのですが、食事の時だけ私以外のみんなのカーテンを開けて
おしゃべりの時間が始まります。
1週間以上つづいたこの状態に、担当の看護婦さんが「個室がありますが、移られますか?」と
こっそり話を持ってきてくれたほど 周りから見たら私は孤独に見えたみたいです。
でも逆に私は「早く安静解除になってみんなとお話するんだ」という気持ちの方が大きかったのです。
話に参加できない分、耳を傾けていると 色々な人たちの愚痴がなんと多いことか。(^-^;
「点滴が邪魔」、「ずっと閉じ込められて暇だ」、「電話をかけに行く位しかできない…」
何言ってるんだ。私なんか点滴3種類に絶対安静、お風呂はおろか、水で顔を洗うことさえもできないんだぞ。
お手洗いに立つことだけでもどれだけ幸せか。シャワーだけでも浴びることができるのがどれだけ幸せか。
家族に電話をかけることができるのがどれだけ幸せか…!
その時の私にとっては、何も出来ないことが苦痛なのではなく、1日中「お腹の張り」と
同時に襲ってくる「心臓が締め付けられて呼吸困難に陥る状態」が1時間毎にあることの方が苦痛でした。
同室の皆さんの愚痴は 自分の状態だけでなく、家族にまで及びます。
旦那のこういうところが気に食わない、義母がどうこう…などなど、悪口大会になると話が止まりません。
他人事ながら、「なんてしんどい考え方してるんだろう」と思わずには居られませんでした。
確かに、自分も辛い。でも、相手の立場にたってもう少し考えてみようよ。
仕事が終わってから毎日お見舞いに来るのは大変なこと。しかも家事もこなさなきゃいけない毎日の中で。
それを想像してみたら 相手に「ありがとう」って気持ちを持てるんじゃないかなぁ、と思いました。
休みに遊びに行く?いいじゃない。人間、ご褒美がないとなかなか頑張れないものです。
私が逆の立場なら、心配と普段と違う慣れない生活で心が疲れてしまうと思うんです。
だから、ぱたやんが趣味の用事で会える時間が少なくなる時も、腹が立つ事は無かったです。
むしろ、心配性のぱたやんが気分転換できる仲間が居ることに 感謝していました。
ただ、そう思える背景には「私のことを最優先に考えてくれる」安心感があったからに他ならないのですが…
そういう風に思える心遣いをしてくれる事に感謝することで、相手を思いやる余裕ができたのかもしれません。
同室の愚痴大会の他にうんざりしてしまったのが、携帯電話…
面会時間以外の静かな時間、カチカチ…とメールを打つ音が聞こえてきます。
最初はゲーム機かも?とも思いましたが バイブレーターの着信音がかすかに聞こえてきました。
それも次々と入れ替わるこの病室に入ってくる患者さんのほぼ全ての人がそれをしているのです。
ちょっと…点滴している人も半分くらいは居るというのに。
私に至っては数種類の点滴を精密機械制御で行ってるのに…万が一狂ってしまったら 危険な薬を使っているのに。
隣の人とのスペースは2mも離れてはいないのに。
なんてお気楽な人たちなんだろう…そうだよね、身の危険を感じる症状がないんだもんね…。
それと同時に
「自分勝手なことが普段の行動に表れてるから親類とも上手くいかないのでは?」とまで考えてしまいました。
その人はその人なりに辛いんだろうから、何も怒る気にはなれませんでしたが…ちょっと常識を疑ってしまいました。
それとは逆に、いい事・楽しい事もたくさんありました。
この病院では、持ってこられる点滴に看護婦さんお手製のイラストとコメントが入っていました。
運び込まれた直後は双子の赤ちゃんのイラストと「お母さん、頑張って!」の文字が。
日数が経ったある日、「お母さん、ありがとう」に変わった時には涙が出てきそうになりました。
そうだ、赤ちゃんの為なんだ 頑張らなきゃ…と奮い立てたのも点滴の言葉のお陰でした。
単調な日々を過ごす中、患者さん同士での自分の点滴のイラストの品評会をやっていたほど心の支えでした(笑)
あとは食事です。寝たきりでも食べやすいようにおにぎりにしてくれたり、
昼は食欲がでなくて、ほとんど手をつけない日が続いたところ、「何なら喉を通りますか」と聞いてくれて
私だけ素麺にしてくれました(笑)
洗髪時も洗面台がベッドまでやってきてドライヤーで乾かすまでしてくれて、シーツ交換も寝たきりのまましてくれます。
冷蔵庫がない病室で私はジュースも買いにいけないので 頻繁に「かじる用の氷」をもってきてくれたり…
いつも「お加減いかがですか?何か心配事があったらいつでも相談してくださいね。」と声をかけてくれたり…
自分で「こんなことしてもらってもいいの?」と驚くほど気を使ってくれるところでした。
さすが、ホスピスで有名な病院だと感動したのを覚えています。
何より嬉しかったのは、前の病院の時よりもぱたやんのお見舞い回数が増えたこと。
前の病院と違い、家と会社の間にあったこの病院ならば 頻繁お見舞いに来ることが出来るようになったのです。
数時間毎のお腹の張りと動悸や息苦しさも、ぱたやんが居る間だけは痛みが引いたり
時には忘れることができました。
単純だなぁ…「病は気から」ってのがわかる気がします(^-^;
7月22日(火)…30週3日
同室の人と全く話せない絶対安静生活を続けて10日目、転院後初の診察がありました。
赤ちゃんは右側が1400g、左側が1370gと大きくなっていました。
万が一生まれても呼吸器をつけなくても大丈夫であろう30週を超えることができたので
やっと食事の時とお通じ時のみ起き上がる許可がおりました。
夕食から起き上がってカーテンを開けることが出来るようになって、皆さんが一緒になって喜んでくれました。
配膳係さんに「起き上がってると ぽかさんじゃないみたい^-^;」
婦長さんにも「一時はどうなることかと思ったけどよかったね♪」と言ってもらったりしました。
7月30日(火)…31週3日
2度目の診察で、右側は1570g、左側は1600gと順調に大きくなっていました。
すでに子宮の上端は肋骨の中まで及んでいて、なおかつ その痛い肋骨の境目を左ちゃんが容赦なく蹴るので
「骨は蹴っても動かないんよ〜勘弁して〜〜」と訴える毎日でした。
とはいうものの、お腹の張りは1時間に1回、調子のいい時は数時間空くこともあり
氷枕を一日中していないと耐えられない「ほてり」は続いていたものの、なんとか副作用と共存できるくらいには
落ち着いてきました。
「このまま32週に入ったら、元の病院へ再転院しましょう」と先生から告げられました。
正直、こちらの病院にきてからというもの、症状が日々良くなっていただけにぎりぎりまで粘りたい気持ちがあったのですが
退院後、赤ちゃんはNICUに長く入院するだろうから お世話の為の通院がここだと遠くて辛いだろうということ、
32週を超えると転送時に危険が伴うこと、を言われました。
なるほど、考えてくださってるんだな…。
転院の前の日、担当の看護婦さんがやってきて
「ぽかさん、元の病院へ転院しちゃうんですね…知らなかった」
と明子姉ちゃん(@巨人の星)の様にカーテンからチラっと体半分覗かせています。(笑)
「明日はお休みで見送りができないので挨拶に来たんです。
赤ちゃんを見たかったけど 産まれたら遊びに来てくださいね!待ってますから」という表情は寂しそう…
私も思わずウルウルきちゃいました。
「本当にお世話になりました!」と笑顔でお別れしました。
明日は転院…ドキドキするなぁ…