再転院と病状進行

8月7日(水)…32週(9ヶ月)5日

ついに元の病院へ戻る日がやってきました。

主治医の先生が「よく32週まで頑張りました!!ここまでもったらもう大丈夫!」と

満面の笑顔で誉めてくれました。


行きと同じく、転院には主治医の先生が乗り込み 救急車で移動します。

お昼ご飯を食べた後、ストレッチャーのお迎えが来ました。

救急隊員さんに運ばれながら、ナースステーションを通過…看護婦さんたちも「頑張ってね!」と声をかけてくれて

同室のみんなも病室をでて廊下を曲がるところまで ずっと手を振って見送ってくれました。


救急車に乗り込んで さぁ、出発!と思った時、看護婦さんから白い封筒を渡されました。

「いきなりだったから あんまり人数居なくてごめんね、私たちからの寄せ書きなの!持っていって!」

いきなりのプレゼントにまたウルウル…

救急車の扉が閉まるまでみんな手を振ってくれました。本当にありがとう、お世話になりました。


その頃ぱたやんは一足先に元の市民病院へレガシィを走らせていました。

しばらくして渋滞につかまっていると 後ろからパトカーらしきサイレンが…

みんなが端によけて 追い抜いていったその車は「淀川キリスト教病院」と書かれた救急車!

「あれだ!!待てぇぇ〜〜」と追いかけたけれど、あっという間に見えなくなってしまったそうです(笑)


その中では、付き添いに来てくれた先生が 携帯のストラップを見せながら

「これ、ゴーヤマン。可愛いやろ〜〜v」

…のん気な会話が交わされておりました。(^-^;


市民病院について、最初の主治医の先生が迎えてくれました。

これからの説明を伺ったのですが、前の病院と違って「最低でも34週までもたせないとね」と

まだまだみたいな事を言われてちょっと落ち込み…(苦笑)


そして、お手洗いまでの歩行ありの生活がまた始まりました。

淀キリの先生のあの言葉を聞いた後だったので「また悪化しないだろうか…」という心配がよぎりました。


8月8日(木)…32週6日

シャンプーをしてもらったのですが、前と違い 洗面台まで車椅子で移動してもらって台に移らなければいけません。

部屋まで連れ帰ってもらって、ドライヤーを渡されたのですが

副作用と絶対安静で腕の筋力がすっかり衰えていた私にとってはそれさえも ままなりませんでした。

車椅子にすわったまま、ドライヤーを1分ほど持ち上げるだけでお腹が張ってきて息切れが襲ってきます。

少し風を当てては下を向いてゼェゼェ…症状が落ち着いてはまた風を当てるという過程を繰り返してやっと乾すことが出来ました。

でも、その後の昼食を息苦しさで食べることもできないくらいに疲れてしまいました。


8月11日(日)…33週2日

悪い予感は当たりました。

数日前にも10分間隔になり、ウテメリンの点滴量が増えていたのですが それでも止まらず

せっかく下がっていたマグネゾールの点滴量を増やすことになりました。

それと同時に今までと比較にならない程の強烈な副作用が襲ってきたのです。

それは容赦なく私の体力を奪っていきました。


体のだるさは最高潮に達し、ご飯を起き上がって食べることもできなくなりました。

配膳する方はそれが分からないので いつもどうりに机の上に置いていかれます。

起き上がろうと試みましたが、体が動いてくれません。ベッドの前を通る人に語りかける声も出ません。

その後、通りがかりの看護婦さんにベッドの顔の横においてもらいましたが

手が動かないし、常に呼吸困難状態になっていたので ご飯を飲み込む動作もできず

何も手をつけないまま下げてもらうようになりました。


ほてりがひどいので、アイスノンを抱た状態で 何とか動く手首で自分に向かって力なくうちわで扇ぐのがやっと。

目を開けてテレビを見上げるだけでお腹が張ってくるので目を閉じ、犬の様に口を開けてハァハァと酸素を求めて

時間の経つのをじっと待っていました。


副作用は強烈なほどに襲ってきているのに、お腹の張りは10分おきのまま…。

「一体、何のための点滴なのか」それさえも考えられない程、思考能力は奪われていました。

その頃になると精神状態も、もう限界に達していました。

目を開けることも、喋ることもできない呼吸困難状態でじっとしていると 辛さと寂しさで涙があふれてきました。

他の患者さんのご主人がお盆休みで常にいたのも寂しさを増す要因になっていました。

心の中で「誰か助けて!」と叫びつづけていましたが、ギリギリの精神状態だった私は

少しでも弱音を吐いたら もう耐えられないことを理解していました。

ぱたやんに抱きついて大声で泣きたい。辛いって口に出したい。でも、口に出したら負けてしまう…

その想いだけが先走って、ぱたやんの顔を見ただけで溢れそうになる涙を抑えるのに必死でした。


目を閉じたまま息も絶えだえに日課の問診に答える私に、

「辛いね…本当に辛いね…よく耐えてらっしゃいますね」と看護婦さんから優しい言葉をかけてもらい

その時は力なく笑って耐えるのですが、姿が消えた途端 タオルで口を押さえ、声を押し殺して泣いてしまいました。

泣きすぎで瞼は常にまっかに腫れあがり、瞳も充血したせいもあり、ますます人と目を合わせることができなくなりました。


そんな時、ぱたやんのお母さんがお見舞いに来てくれて 一日中側について何も言わず私を扇いでくれました。

後日、ぱたやんから聞いた話ですが お見舞いを終えたぱたやんのお母さんから電話がかかってきて

「ぽかちゃんがあんな状態でいるのに、どうして先生に何も言わないんだ!」と詰め寄られ、喧嘩してしまったそうです。

お母さんは あまりに強烈な副作用に、その後遺症が心配になって電話をかけてきたらしくて…

でも、一番身近で見てきたぱたやんの方が辛かったよね…。

その後、ネットで検索したマグネゾールの体験談の「あれは薬じゃない」などの書き込みを見てますます悩んだそうです。


看護婦さんに聞いたところ、投薬をやめると徐々に成分が薄まるのでそれは心配ないとの事。

でも、私にとっては「今のこの副作用にどれだけ耐えることが出来るか」を考える事で精一杯でした。


どんなに苦しくてナースコールしたとしても点滴を増やすしか もう処置はできません。言うだけ無駄なのです。

「私は入れ物なんだ。入れ物は痛みを感じない…感じない…涙も出ない…出ない…」と自分に言い聞かせ、

お腹にかけるタオルケットに「これは魔法のタオル。痛くなくなる…痛くなくなる…」と子どもだましのおまじないをかけたり、

さっきまでぱたやんが座っていた椅子に向かってあたかもそこにぱたやんが居るように語りかけるなど はたから見たら

かなりおかしな行動をしてたと思います。

そうやって一日中絶えることの無い10分おきの痛みを凌ぎつづけました。


8月14日(水)…33週5日

永遠かのように思えた悪夢の3日間が過ぎ、主治医の先生が夏休みから帰って来られました。

そしてマグネゾールの数値を12.5ml/hまで下げてくれました。

先生の話によると、数値をあげるのは看護婦さんでも出来る為にどんどん上がっていくけれど

下げる指示を出せるのは医師だけだとか。日々増えていく点滴の謎が解けました(苦笑)


目を閉じたまま うなづいて話を聞く私に、

先生が「もう耐えられないと思ったら、いつでも手をあげてください。帝王切開しますから」と言われました。

ホッとした同時に「その分、今度は赤ちゃんに頑張ってもらいましょうね」と言われ、逆に奮い立ちました。

赤ちゃんに辛い思いをさせる位なら、我慢できる私が頑張らなくちゃ…意地でも手をあげるもんか…。

でも、これ以上点滴を増やさないことを聞いて 光が見えてきた気がしました。


その日のぱたやんとの交換日記にもこうあります。

「お手手洗ってくれてありがとう。(洗面器を持ってきて蒸しタオルで体を拭いてくれたのです)

毎日来てくれてありがとう。笑顔を見せてくれてありがとう。

もう少し、前を向けそうだよ。」